毎日放送プロデューサー 称名寺 本多隆朗
(茉莉花vol.11/1993年春号)
※茉莉花掲載時の肩書きのまま掲載しております。
お寺の本堂に人があふれている。そんな夢が現実のものとなってきた。
お寺を継いで15年余り、前住職時代は老人の数が圧倒的で、報恩講、永代経が中心の法要がとり行われていた。 大阪の中心街から電車でおよそ15分、茨木市にあるお寺は、昔の檀家を中心としたものから、 転勤生活のあるサラリーマン中心に変わらざるをえない地域性におかれていた。
幸いに境内地に墓地があり、お盆や春、秋の彼岸には家族ぐるみのお詣りがあった。 ターゲットは家族、彼岸会、盆会、除夜の鐘、修正会(正月)と人が集まりやすい社会の動きの時に法要を始めた。
すこしずつ参詣客が増え、百人余りでいっぱいになる本堂が埋まるようになった。 境内地の整備、駐車場の確保、本堂、庫裏の改築とあっと言う間に環境を整えることができた。
新しい門信徒会を結成し、資金確保に動いていただいた総代をはじめ、役員のチームワークも素晴らしかった。
それにもまして坊守の動きは人並みはずれていた。 三人の子育てをしながらの日常の法務、 枕経、通夜、四十九日までの法要を自転車で走り回って汗水や、冷や汗をたらしていた。
それに隣市にある行信教校の優秀な生徒さんにも法務を助けていただくので、食事の世話から地図の説明まで、 ゆっくり休む時間がなかったに違いない。 住職である筆者は、放送局に勤務している関係で、休みの日には、法務を手伝うが、坊守にはまったく頭があがらない。
さてお寺の行事は、お盆の夜のカラオケ大会、婦人会のバザー、門信徒会の一泊旅行と増え続け、 一年中、活気がみなぎるようになった。 最近は念願の報恩講で子供達や若い人が多くなり、講師名に関係なく満堂になってしまう。 報恩講にはヤングミセスの世話で、かやくごはんやきつねずし、 修正会はおでんやちゃんこ鍋、お盆の夜はアルコールで賑やかなこと。 お寺の台所では毎月、何回かの鍋を囲んでのワイワイ、ガヤガヤ。
今年五十歳になる筆者は、お念仏を味わう新しい輪の誕生が肌で感じ取れるようになった。
お寺は明るく賑やかに。
誰でも入れて女性中心の味わいが求められるようになったのではないだろうか。