浄土の客をご接待

本願寺司教 法円寺 霊山勝海

(茉莉花vol.1/1990年夏号)
※茉莉花掲載時の肩書きのまま掲載しております。

ことしもお盆が近づいてきました。お盆は、お正月とならんで、幼いときからことの他懐かしい風物詩であります。日曜学校でならった歌に、

とんぼに乗って  はるばると
お浄土からのお客さま  一年ぶりのお客さま

というのがありました。
また、盆おどりのうたに

ぼんはなア  ぼんは嬉しや
別れた人も  アリャヨーホホホイ
晴れたこの世へ  ハー会いに来る

とうたわれています。

お客様に礼を欠く?

すでにお浄土へ逝かれた方が、私に会いに来てくださるのなら、懐かしいその方に、会わない法はありません。お仏壇をかざってお参りしたり、お墓を掃除してお盆を迎えるのはだれしもするところですが、それだけで浄土からのお客を、お迎えしたといえるでしょうか
お客さまがみえたら、お座敷か応接間にお通しして、ご挨拶をし、用件を聞き、歓談するものです。飲み物だけ出して、一口も口をきかないでいることはありません。久々に浄土から、私のところに来ていただいたのであるなら、浄土の様子や来られた用件に耳を傾けないでは、お客を接する礼に欠けることになります。

妙好人のひとり言

島根県温泉津の念仏者、浅原才市さんは、いつも手次のお寺、安楽寺へお参りすると、まず、阿弥陀如来さんの前にぬかずいて、お称名・礼拝し、しばらく口のなかでモゴモゴ独り言をつぶやいていたそうです。やがて席をご開山の前に移して、また同じようにお称名・礼拝して、ひとりぶつぶつつぶやき、同様にして蓮如上人、七高僧さま、聖徳太子と、まるで生きている人と話をする仕草でお参りするのでした。

お浄土は留守?

ある人が、才市さん、いったい何をぶつぶついっているのだろう?と、そっと後ろによりそって、きき耳をたてて聞いてみました。せっかくお参りしましたのに、きょうもお留守でございますか。残念なことでございます。してきょうはどちらへ?…。はあ、はあ、それはそれは遠いところまでお出かけで、ご苦労なことでございます。せっかくお参りさせていただきましたが、きょうも衆生済度でお出かけとはありがたいことですなあ。もったいないことでございます。なんまんだぶ、なんまんだぶ。といっていたそうです。

如来様は活動家?

才市さんによれば、安楽寺の如来さんは、いえ、親鸞聖人も、蓮如上人も、七高僧も、聖徳太子も、お浄土の方々はみんな出はらって、留守なのであります。如来さんは出雲の町へ、親鸞聖人は山間の部落へ、蓮如上人は漁村へと、まだ法義を知らない人々を求めて、あらゆる手段を講じて、本願の法に目覚めさせようと、働きづめに働いていてくださるというのです。

せつなる声を聞く

浄土に往生された方々は、みな如来さんになって、如来さんの仕事に、昼と夜の別なく働いてくださるのです。その「本願に目をさまして、念仏してくれよ」という、せつなる声に耳を傾けなければ、せっかく私のために、浄土から来てくださったお客を、用件も聞かずに追い返してしまうことになるではありませんか。私が念仏する身になって、はじめて浄土の方々は、こころを安じることができるのであります。

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