くらしの中に生きている仏教語
普段、私たちの生活の中で何気なく使っている言葉の中に、仏教に由来することばが数多くあります。
仏教語の解説を、音声でご鑑賞ください。
朗 読:米澤 美由紀 音 楽:こゆみこバンド
ありがとう
稀に人間として生まれてくること
エチケットとして欠かせないあいさつ「ありがとう」は、感謝を表わす言葉。
だが、その意味は、英語のサンク・ユー、ドイツ語のダンケ・シェンが、「あなたに感謝する」と直接的にズバリいうのとはちがっている。
漢字で表わすと「有り難う」で、「有りがたし」からきている。つまり、「ありそうもない、貴重な価値のあることだ」という感嘆の声なのである。
仏教では、まず人間としてこの世に生を受けること自体が「有り難い」ことなのだ。
お釈迦さまのたとえによれば、ガンジス河の砂(無数の砂)の一粒をつまみあげるくらい稀にこの私は親の縁あって人間として生まれてくるという。この広大な宇宙のなかで人間として生まれ、お釈迦さまの教えを聞けること自体が果てしもないすごい確率だというので「有り難い」。
そうしてみると、いま生かされてあることが尊くもあり、とても不思議なことに思えてくるではないか。
たまには 「アツ 」 と驚いてもよさそうなものなのに、ちっとも驚く気配もない。ダイヤモンドの希少価値はありがたがっても、人間に生まれることをあたりまえとしか考えられない人は悲し い人といわざるを得ない。
また、仏教の「有り難し」という考え方には、因縁のめぐりあいの思想が含まれているようだ。
人が何かに感謝する気持をいだき、お礼をいうのは、世の中すぺての移りゆき、なりゆきの中で、たまたま自分にそれがめぐってきたことを喜ぷことなのである。
あれやこれやでなかなか奥が深いのだ。
もっと 「ありがとう」というすばらしい日本語を大切にし ようではないか。そうすれば、私たちの人生もさらに豊かになろうというものだ。
(茉莉花vol.13より)