出偶い

広寂寺 武田達爾

(茉莉花vol.6/1992年新年号)
※茉莉花掲載時の肩書きのまま掲載しております。

 昔から、人生は、出遇いと別れの連続だといわれます。人間は、生まれてから死ぬまで、いろんな人に出遇い、やがて別れていきます。仏教では、人生で避けられない苦しみの中に、愛しあうものが別れねばならぬ苦しみと、憎しみあうものが出遇う苦しみとがあげられています。しかし、出遇いがなければ、別れはありません。出遇いは、大きな喜びなのです。

 あうという字にも、合う、会う、逢う、遭う、遇うという字があります。これらは、それぞれ違った意味を持っています。例えば、合という字は鍋に蓋がぴったりとあう形を表わし、会は人がたくさん集まる様子を表わしているそうです。辞書で調べれば色々なことがわかります。遭は悪いことにあう意味、遇はたまたまあう意味だといわれています。浄土真宗では、値う(あう・もうあう)という字が使われることがあります。尊い法や、尊い方にあうことだそうです。いろんなあい方があるものです。

 人生で最初の出遇いは、親との出遇いであります。人間としてのいのちをいただくのです。真宗で「いのちを大切に」というのは、交通標語ではないのです。お慈悲を聞かせていただく、いのちなのです。
師との出遇いも大切です。一生のものの考え方を教えられるからです。
友との出遇いも人生を左右します。良い友もあれば、良くない友もあります。
それを選ぶのは、あなたです…。

 一番不思議なのは、夫婦の出遇いです。全く見知らぬ男女が夫婦となり、やがて父母となり、祖父母となって、大きな家庭を作り、複雑な人間関係を形成し、その中で喜んだり泣いたりしながら最後までつきあうのです。

 一番大切なことは、仏様との出遇いです。仏様に手を合わせ、仏様のみ教えを聞き、満ち足りた、喜びと感謝と共に生きる人もいます。一方で、仏縁もなくむなしく人生を終る気の毒な人もいます。そういったことを色々考えてみると、出遇いこそ、命だと言えるのではないでしょうか。

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法語とイラストを掲載

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