くらしの中に生きている仏教語
普段、私たちの生活の中で何気なく使っている言葉の中に、仏教に由来することばが数多くあります。
仏教語の解説を、音声でご鑑賞ください。
朗 読:米澤 美由紀 音 楽:こゆみこバンド
「新しい オモチャ欲しい」という子どものオネダリに「我悛しなさい」と言い聞かせるお母さん。
こういった親子の会話は昔も今も変わらないようですが現在てはよい、意味て使っているこの「我悛」という言葉も仏教てはあまり好ましい意味の言薬ではありません。
仏教では他と比較しておごり高ぶることや他を見くびる思い上がりの心を「慢」と呼んで戒めています。
「我慢」は7つの「慢」の一つで、自分が自分がと思う利己的な心や我が強く、抑えるえることが できないことをいいます。
現代においては「自己を抑制する」「堪え忍ぶ」の意に用いられていますが、これは「我意を張る」 の意を介した転義で、それがしだいに「負けぬ気の強い」「ガンバル」となったらしく、近世後期からの用法といわれています。
つまり昔と今では意味がまったく正反対、ということなのです。
現世、つまりサンスクリット語の「娑婆(サーバー」漢訳で「堪忍土」とされるように、この世はとかく堪え忍ぶことの多い世界です。
多くの他人の「我慢」に支えられ、ようやく今日の自分があるわけです。つねに「おかげさまで」の感謝の気持ちを忘れないようにしたいものてす。
茉莉花(vol.4より)